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野球についてゆるゆると綴っています

プロ野球や高校野球、他スポーツ、管理人の日々など雑多に色々綴っています。

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スーパーキャッチャー・城島健司が引退

城島健司(阪神タイガース)が2012年9月28日に今シーズン限りでの引退を表明。

阪神は先日の金本知憲に続いてのビッグネームの引退表明になります。

記事タイトルにあるとおり、強肩強打の「スーパーキャッチャー」と言える選手だったと思います。

高校時代からその名を聞いていた強打者。

プロ入り後の成長を楽しみにしていましたが、3年目という思ったよりも早い段階で頭角を現し、その後のダイエーホークスの黄金時代を支えるパ・リーグを代表する捕手になりました。


怪我のリハビリで相当苦労しているのだなと感じるこの2年でしたが、引退までしてしまうとは思ってもみませんでした。

今年も一塁でのプレイなど徐々に復活へ向けて動いていると見ていましたが、引退会見で

「今回のケガは自分には…乗り越えられない大きな壁だったと思いますし、今が…限界だと、捕手として限界だったと思います。何よりこの2年間、リハビリに付き添ってくれたスタッフのみなさん、トレーナーのみなさん、こんな僕でも鳴尾浜に来て一生懸命応援してくれるファンのみなさんに、もう一度、活躍するところを見せられなくて。それが一番、悔いが残るし、悔しいです…」

とのコメントをされており、復活するにはかなり厳しい怪我だったのでしょう。

まだ36歳で引退を決断するにはやや早いという印象もありますが、

「やっぱり自分は捕手ですから。まだ野球が好きだというのが僕の誇りです。ですから、捕手として、捕手のまま引退します」

「捕手というポジションが、僕の人生で一番、幸せなことだったと思います」

怪我で捕手としての思い描くプレイが出来なくなり、引退を決断するのもまた彼なりの美学なのでしょう。

野球が大好きなまま引退したいという気持ちも強く分かるので、ひとまずお疲れ様と言いたいです。

捕手として初のメジャー移籍、阪神タイガースへの移籍で日本球界復帰と様々な挑戦を経ての引退。

その経験は大きな財産だと思うので、出来るならばいつか指導者として球界に戻ってきてくれることを期待したいです。


同選手の引退会見での野球ファンへ向けた一言。

「18年間、本当に応援して頂いてありがとうございます。本当に幸せな18年間でした。ただ、この2年間、甲子園で、5万人の大歓声の前で、もっともっとあの球場を熱くするようなプレーを見せれなかったことが悔しいです。それ以外は本当に、いい野球人生で、素晴らしい人と出会った。その縁に感謝したいと思います。色んな手術も故障もしましたけど、野球が大好きなままユニホームを脱ぎ、年を取ったらその傷一つ一つが自分の勲章になるでしょうし、お酒を飲みながら、何回も息子や孫たちに自慢話をするように、そうなれるような素晴らしい野球人生でした。ありがとうございました」


同選手は別府大学付属高等学校時代に通算70本塁打を記録。

甲子園出場はならなかったものの、その打棒は高校球界に轟き、スカウトの注目も集める。

1994年ドラフト1位で福岡ダイエーホークスに指名されて入団。

入団当初から打棒は非凡なものを見せていましたが、捕手としての力は1軍レベルには遠く及ばず。

1年目に1軍デビューは果たすが、最初の1年目は控え捕手として終わる。

2年目に入ると開幕から育成のため2軍暮らしとなるが、打棒を磨きウェスタンリーグで本塁打を量産。

次シーズンを見据えて9月から1軍合流すると、以降は先発出場が続く。

3年目にして開幕から1軍レギュラー捕手となり、同年のオールスターファン投票では戦後生まれでは最年少となる21歳45日で捕手部門1位選出。

この年打率.308を残し、プロ野球歴代捕手で最年少3割捕手の記録を残す。

5年目となる1999年には初の全試合出場を果たし、チーム唯一の打率3割を残すなど攻守両面で活躍し、球団初のリーグ優勝・日本一に貢献。

6年目(2000年)は骨折をして84試合の出場にとどまるも、チームはリーグ2連覇を達成し、巨人と日本シリーズで対戦。

ON決戦となった同シリーズで4本塁打と日本シリーズタイ記録を打つが、チームは2勝4敗で日本一を逃す。

7年目、打率こそ.258と低く終わるも31本塁打を記録(捕手の30本塁打以上は史上5人目)。

9年目の2003年には野村克也以来史上2人目となる捕手としての全試合全イニング出場を達成。

打っては打率.330、34本塁打、119打点と打撃3部門全てキャリアハイをマークし、シーズンMVPを受賞。

日本シリーズでは阪神タイガースと対戦し、2度目のシリーズ4本塁打を打って(長嶋茂雄以来史上2人目)チームの日本一に貢献。

2004年にはアテネオリンピック代表に選ばれ、捕手及び中軸打者として活躍して銅メダルを獲得。

同年捕手シーズン打率パ・リーグ新記録となる打率.338を記録。

2005年オフシーズンにFA権を行使し、シアトル・マリナーズと契約し、捕手としては日本人選手史上初のメジャーリーガーとなる。

2006年4月3日の開幕ゲームで7番捕手としてメジャーリーグデビュー。

同日、第2打席にメジャー初安打を本塁打で記録。

131試合に先発出場し、打率.291、18本塁打、76打点を残す。

メジャー2年目も打率.287、14本塁打、61打点とレギュラーで活躍するが、3年目・4年目と打撃不振と怪我に苦しみ出場機会は激減。

2009年オフに阪神タイガースに移籍し日本球界に復帰。

2010年、144試合出場で打率.303、28本塁打、91打点と正捕手として活躍し、阪神タイガースの2位躍進に貢献。

同年168安打を記録し、1997年に古田敦也(ヤクルトスワローズ)が記録した164安打を抜き、捕手のセ・リーグ最多安打記録を更新(この時点でのセ・パ両リーグの記録保持者)。

さらにゴールデングラブ賞も受賞し、捕手として史上初のセ・パ両リーグでの受賞となりました。

この年の終盤に左ひざの故障が判明。

全治半年と言われながら、翌年開幕戦に出場。

しかし、膝を保護するために着用していたパッドのため左膝に瘢痕が生じ、これにより膝の可動域が広がらなくなってしまい、この影響で極度の打撃不振に陥ってしまう。

膝の状態が悪いことが全ての面で悪く働き、腰、肘など次々に故障してしまう。

2012年は内野手としての復帰を模索するが、5月に出場選手登録を抹消。

同年9月28日に引退を表明。


日本での14年間のプレイでの通算出場は1323試合、打率.296、244本塁打、808打点。

メジャーリーグでの4年間の通算は462試合、打率.268、48本塁打、198打点。

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